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10日

あの日から10日経ちました。
ライフラインも復旧しました。

あいかわらずガソリンは入れられない状況ですが、少しづつは入ってきているようです。
食料品も、それなりに買えるようにはなりました。


10日の間に、色々と考えることがありました。
しばらくblogは休むつもりでしたが、今のこの気持を残しておこうと思います。



前回のblogに書いた、「信じられない原発事故」

あの時は、本当に信じられない・・・それだけでした。


私は小学生の時と結婚してから、原発の見学に行っています。
福島県に住んでいる方なら、見学されている方も多いのではないでしょうか?


その時にも説明されました。
「ここは東京電力の原子力発電所です。関東に電気を送っています。
地震が来ても大丈夫なように設計されています。」と・・・

小学生の時は学校で行ったのですが、原発付近の高台から見た太平洋が
本当にキレイで、今でもはっきりと覚えています。
原発は、こんなにキレイなところにあるんだと・・・

その海が牙をむき、想定外の高さの津波が押し寄せ、
あの原発がこのような状況になっている・・・

本当に信じられませんでした。


私の住んでいる福島市も、通常よりも高い値の放射能が測定されています。
南相馬市やいわき市よりも値が高いです。

屋内退避圏ではありませんが、我が家を含め周りの家を見ても、
屋内退避しているような状況です。


子ども達だけは守らなくてはならない・・・避難した方がいいんだろうか??

夫は地震後も仕事に行っているので、もし避難となれば私と子ども達だけ。
子ども達を父親と離し、夫を残して行ってもいいのだろうか?


いろんな情報が錯綜し、そんな毎日に精神的にも追い詰められました。
なかなか収まらない状況に、「地震が来ても大丈夫って言っていたじゃない!」と、
怒りの矛先を国や東京電力に向けていた日も、正直に言うとありました。


でも・・・思いました。

今現場で、一生懸命頑張ってくれている方達が、たくさんいる・・・と。

その方達にも家族がいます。
その家族を置いて、今この作業を命がけで、見えない敵と戦いながら
行っている方達がいる・・・と。


もしものことがあったら、全く被害がないわけではない地域だと思います。


将来、子ども達に万が一・・・という不安が全くないわけではありません。
それでも・・・国が、県が、有識者が大丈夫と言っているなら、それを信じよう。
避難はせず、福島市に残ることにしよう。


そう思ったら、気持ちが軽くなりました。

今いろんな職種の方達が、総力をあげて原発と戦っています。

これ以上、故郷に住めなくなるかもしれない人を、増やして欲しくない・・・
今の私には、祈ることしか出来ません。


夫の両親も、なんとかガソリンが入れられ、県外の親戚宅に避難しました。
自宅は屋内退避圏で、水道の復旧も進んでいないようです。

義両親にも夫にも、故郷を残して欲しい・・・
また戻って来れると信じています。


地震の2日後に飯坂電車が運行し始めました。
遮断機の音に、目の前を通る電車に涙が出そうになりました。
ここからが始まりだと思いました。


福島県はこれから色々と、大変な事があると思います。
県民の1人として、生まれ育った福島県が、1日も早く復興出来るように願っています。


今の私に何が出来るか・・・?
医療系の資格を持っているのですが、未だ余震の続く中、
幼い子ども二人を残しては行けません。


私にできること・・・handmadeで何か出来ないかな・・・
そんなことも考えています。


Rim*

by rim0707 | 2011-03-22 00:44 | 日々のこと